お金の歴史(前編)
2024/06/21
お金の歴史(前編)
暑さを意識する季節になりましたね。暑さを感じると夏を
意識しますね。子供たちは、夏休みといえば自由研究。
今回と次回はお金の歴史について書いてみようと思います。
お金の歴史
大昔、お金というものがなかった時代、
人々は物々交換を行っていました。
そして、貝・家畜・石・布などをお金として
使うようになり、日本では7世紀後半に
初めての貨幣が出来ました。やがて中国から
お金を輸入して使うようになり、徳川幕府に
なって貨幣制度が確立されました。
徳川幕府における貨幣制度は「三貨制度」と言われ、
金貨・銀貨・銭貨を貨幣として使用していました。
金貨は主に東日本で、
銀貨は主に西日本で流通し、
銭貨は庶民の間で流通していました。
東日本には佐渡金山など金の産地が多く、
西日本には石見銀山など銀の産地が
多かったためです。
「三貨制度」は
4進法と10進法が混在し、
金貨が4進法、銀貨と銭貨が10進法です。
金貨…小判1枚=1両=4分=16朱
銀貨(重さで計量)…1貫=10000匁、1匁=10分
銭貨…1貫文=1000文
金貨、銀貨、銭貨の換算比は年代によって
推移しますが、慶長14年(1609年)に幕府が制定した
当初の換算は金貨1両=銀貨50匁=銭貨4貫文でした。
このように異なる貨幣が併用されていたことから、
これらを両替する「両替商」が登場し、
これが後に現在の銀行となります。
1両(小判1枚)は現在のお金に
換算すると約10万円です。1文が約25円。
当時の物価は、目安として豆腐が1丁12文、
蕎麦が1杯16文、髪結いが30文、
旅籠が200文くらいでした。
銭貨(寛永通宝)には一文銭や四文銭があり、
なんでも4文(約100円相当)で買える
「四文屋」という屋台が流行ったそうです。
現在でいう100円ショップですね。
「宵越しの金は持たない」という言葉があります。
江戸っ子の気前の良さを表したもので、
今の常識だと無謀とも思えるような言葉ですが、
今よりも平均寿命が短く、生涯現役だった江戸時代。
老後の生活費を蓄えておくという考えは希薄でした。
貯金方法もたんす預金が主流で、
火事があれば一瞬で燃えてしまいます。
そのような時代背景を考えると、このような
言葉が生まれたのも理解できますね。
FP Acenue所属
ファイナンシャル・プランナー
木元広之
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