お金の歴史(後編)
2024/07/05
今回は江戸幕府や藩のお金の話です。
江戸幕府や藩は慢性的に財政難だったそうです。
江戸幕府や藩のお金の話
徳川家康が江戸幕府を開いた当初は、
財政的にも余裕がありました。佐渡や伊豆に
金山を有し、潤沢に金を産出して金貨を
発行していたので、余裕で幕府を維持出来ていたのです。
しかし、3代将軍家光の頃になると、次第に
逼迫してきます。この頃の大事業としては
日光東照宮の建立があります。総工費は諸説
ありますが、現在の価値に換算すると
数百億~2千億円ほど掛かったそうです。
日光東照宮完成後も日光参詣はかなり
大掛かりな行事でした。8泊9日の行程で、
その行列は先頭が日光に到着した時に最後尾は
まだ江戸だったとも言われています。
こうしたことを繰り返していた
こともあって、当初裕福だった幕府の
財政は急激に悪化していきました。
5代将軍綱吉の頃には幕府の資産は枯渇し、
破綻寸前という状況にまで陥ってしまいました。
そこで、勘定奉行の荻原茂秀は貨幣を改鋳
するという改革を行います。
具体的には、既に出回っている貨幣を回収し、
金の含有量を減らした貨幣と交換するという
施策です。当時の小判(慶長小判)は
金の含有率が約86%でしたが、これを
含有率約57%の新たな小判(元禄小判)に
改鋳しました。しかも交換比率は1対1で
交換したので、貨幣の供給量は1.5倍に増え、
幕府の財政も改善しました。現在の言葉で
いうと、いわゆる「量的金融緩和政策」ですね。
しかし、一時的に幕府の財政は改善したものの、
今度はインフレが進み、経済の混乱を招くことと
なりました。その後、江戸中期~後期にかけて
享保・寛政・天保と3度の改革を経て幕末へと
向かっていくこととなります。
また、各藩の財政状態も厳しいものでした。
参勤交代による江戸と領国との二重生活や、
幕府からの普請の手伝い要請など、多額の
出費に苦しめられていました。
さらに当時の財政は米経済であり、
百姓からの年貢が主な財政源だったことも
一因です。天候に大きく左右され、不安定な
財政状態でした。そこで各藩では藩政改革を行い、
財政改善に努めてきました。
具体的には、倹約、検見、新田開発、商人からの
御用金徴収、特産物の増産など。こうして各地の
特産品が生まれたとも言われています。
まとめると、江戸幕府や藩は恒常的に
財政難に苦しんでいました。理由としては、
幕府も大名も武家のしきたりを重んじて倹約出来ず、
財政難にも関わらず無理して上級階級の生活を
維持してしまったことが一因といわれています。
このようなことは現代のライフスタイルにも
当てはまり、高収入を得ていた人が、収入が
激減した際に生活水準を下げることが出来ずに
従来の生活水準を継続した結果、困窮化して
しまうというケースもあります。江戸時代の
財政難を教訓に、将来を見据えた計画的な
ライフプランを心掛けましょう。
FP Avenu所属
ファイナンシャル・プランナー
木元広之
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